ネオ・アール・ブリュット

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2010年 09月 05日

外の者は内のもの(外の者にとっての外のもの)を判定できないのか?

9. 外の者は内のもの(外の者にとっての外のもの)を判定できないという考えについて

 前回の文章で述べている内容は、読み返してみると、外の者は内のもの(外の者にとっての外のもの)を判定できないという考えにつながってしまいかねない側面を持っているように思われる。だがそれはあるスタンスを取る者にとって全くもって都合の良い曲解でしかない。

 アール・ブリュット、アウトサイダー・アートに関し、王道の現代芸術を論評する者の中に、そこには福祉分野の問題が介在し、同時代を生きるそのジャンルの作家個々の作品についての論評は現段階では中々単純にはできず難しい、という類いのコメントを寄せることがある。これまでいくつかの機会に直接耳にし、また公の文章で目にしてきた。

 前回の述べたように、アール・ブリュット、アウトサイダー・アート作家の有り様そのものを無視した作品の捉え方には自ずと限界があり、それを超えていかねばならないのは当然である。だがそれは思考停止を良しとするものでもないのだ。文学であるならば、たとえ専門外であってもロシア文学、ラテンアメリカ文学、フランス文学等々について論じるであろう者が、もちろん美術については諸外国作家作品について広く論じる同じ者が、何ゆえにアール・ブリュット、アウトサイダー・アートに関し思考停止状態に陥るのか?自らが分け入ってそのものを捉えようとしないという意味では、無定見な論評も論評自体を避けてしまうことも全く同じことに思える。

 個々人の社会的つながりというレベルでも他者理解というものは正に、外の者である自分が自らの外の者に対する理解を深める、ということである。決して自分が自らの外の者に成り代わる訳でなく(もちろん自らの外の者が自分に成り代わるのでもなく)、外の者のままで、自らの外の者を捉え理解しつながっていくのである。
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by selfso_murakami | 2010-09-05 10:57