ネオ・アール・ブリュット

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2010年 03月 15日

永島正人

 前回の予告通り、今回は永島正人について2006年に行われた『絵本を歌う』コンサートパンフレット掲載の文章を載せます。


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 <出会いは続く>

 永島正人作品と初めて出会ったのは今から12年前。当時はB5サイズの作品が中心だったが、その後、美術館での展示等も経て、今ではタタミ1畳分もあるものが中心になった。大きくなったよねぇ。数多く描かれていた動物や人物のモチーフ、野菜や魚まで人に見立てて描いた擬人化作品も今では余りお目にかかれない。巨大画面に小さいマルがひとつみたいな極端に抽象度の高い作品の比重が高かった時期もあったけれど、今は普通にどっかりとモノを描くというスタイルだ。
 そういえば、永島正人はいつどうやって描くこと、そしてクレパスという画材と出会ったのだろう。代表的なモチーフのひとつカエル、そのカエルを好きだからではなく、逆に実は嫌いで怖くて、それを克服するためでもあるかのように可愛らしく描いた、という話を聞いたことがある。嫌いなものと折り合いをつけるために描く。クレパスを塗り込め描くことで、その都度、自分を取り囲む世界と出会い、そして向き合うのだ。そして自分自身が変わり、成長し、作品そのものも変化を遂げて行く。
 絵本『きらい』の文章・二宮由紀子が、永島正人作品と出会ったのは、あくまで編集者の仲立ちでであった。それでも、いや、だからこそ客観的に作品の本質的な部分が見て取れたのだろうか。『きらい』はある視点を取ると、思春期の少年少女が自身と世界との折り合いをつけて行く過程を描いたとも読める絵本になった。自他の区別から自己の確立。そこから自己を取り囲む世界との共存、共生へ。
 出会いは続く。絵画作品が文章家に出会い『きらい』という絵本になり、その絵本が音楽家に出会い、今回そこから音楽が生まれる。この音楽が、またどんな新しい出会いを作り出すのか。楽しみだ。
 ところで、わらびはワラビーに出会って、友達になることができたのかな。

(文中敬称略)


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 例年同時期に開催してきた京都・SELF-SOアートギャラリーでの個展を東京に会場を移す形ですが、明日3月16日から東京・東中野 SPACE & CAFE ポレポレ坐にて永島正人展が開催されます。

永島正人展
2010年3月16日(火)〜22日(月・振休)
火曜日〜土曜日/11:30〜23:00、日曜日/11:30〜18:00、最終日/11:30〜17:00  期間中無休

SPACE & CAFE ポレポレ坐 にて
〒164−0003 東京都中野区東中野4−4−1−1F
TEL03−3227−1405
http://za.polepoletimes.jp/
space-cafe@polepoletimes.jp
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by selfso_murakami | 2010-03-15 01:13 | 永島正人
2010年 03月 01日

丸木スマ

 ここまで、当たり前のこと・当たり前すぎることの再確認とでもいうべき文章を書き連ねてきたので、あまり面白みはなかったかも知れない。しかし実際、アール・ブリュットを取り巻いている状況は、過度の思い込みによる意味のない賞賛と、同様に過度の思い込みにによる意味のない拒絶が入り交じっているような具合で、やはり冷静な確認作業はどうしても必要なものなのではないかと思う。

 ただ今回と次回は一息ついて過去に書いた作家紹介に類する文章を載せたい。先ず今回は、2000年に大阪・南森町のセルフ・ソウ アートギャラリーで開催した丸木スマ展の案内チラシに寄せた丸木スマについての解説文。10年経った現在、当時よりはいくらか認知度が高くなったようだが、戦後日本にこんな素敵な画家がいたことを知ってもらえたらと思う。
 主に『花と人と生きものたちー丸木スマ画集』(丸木スマ・丸木位里・丸木俊/小学館・刊)と『へくそ花も花盛り―大道あや聞き書き一代記とその絵の世界』(大道あや/福音館書店・刊)を参照した文章で、一部明らかな誤字を訂正した以外は当時の掲載から修正はしていない。


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 ※ 丸木スマ展 2000年1月14日~2月6日 セルフ・ソウ アートギャラリーにて

 『原爆の図』(全15部連作)の共同制作で知られる画家・丸木位里・丸木俊夫妻、位里の母であり、また『かえるのモモル』『あたごの浦』などの絵本で知られる画家・大道あやの母でもある丸木スマは、1875年(明治8年)広島県安佐郡伴村(現在の広島市安佐南区沼田町)の山持ち上田家に生まれます。学校からいつも逃げて帰っては野遊びするような腕白な娘で、そのため読み書きも出来ぬままになってしまったほどでした。20のとき隣村(飯室村)の丸木金助と結婚。丸木家は太田川を行く川船の船頭たちのための船宿をしており、両親と子供のいない兄夫婦も同居する大家族。そのうえ金助は結婚するとすぐに一人でハワイに出稼ぎに行ってしまい、一番年若い嫁としてスマの苦労は絶えませんでした。4年後に金助が帰国し、位里を頭に4人の子に恵まれ(3番目で長女があや)家事に家業の船宿業に農業にと働き通しながら育て上げたのです。

 苦労はありながらも順調に見えた生活でしたが、交通運搬の手段が川船から馬車や(軽便)鉄道にと大きく変わっていく時代、養蚕なども始めるものの世界恐慌のさなか丸木家も少々の山や畑を切り売りするくらいでは凌ぎきれなくなります。借金の保証人としての責任を負わざるを得なくなったこともあり、1931年(昭和6年)とうとう家屋その他の財産をすべて売り払い、夜逃げ同然に村を離れ、スマは金助と二人現在の広島市三滝町に暮らすようになり、荷役に出たり知人の縄工場で縄ないをやったりしと賃仕事で細々と生計を立てていくようになります。この年齢になっての生活の激変は並大抵のことではなかったのですが、気丈なスマは決して弱音を吐くことはありませんでした。

 そうこうするうち日本は第二次世界大戦の戦時下となり、ついに1945年(昭和20年)8月6日広島に原爆投下。スマと金助そして当時同居していたあやの家族も三滝の自宅で被爆します。みな運良く一命は取り留めるものの、金助は翌年になって死亡してしまいます。

 さてスマが最初に絵を描いたのは、末の息子が満州で現地召集された折に皆で寄せ書きを書いて送った時。それまで字も絵も描いたことのないスマは、どうするかと思えば庭へ出て石を拾ってきて、それに墨を付けペタンと押し、それに手足をつけてネズミに見立てたのでした。それはそれきりのことだったのですが、終戦後の混乱もようやく少しは落ち着いた1948年(昭和23年)頃、原爆の図制作のために位里・俊夫婦が広島で下絵・デッサンを描いていたことも影響したのかもしれません、洗うことを頼まれた絵皿を隠しておいては、そっと自分でも広告の裏や雑記帳に描き始めるなどしてスマの創作活動が開始されます。はじめは線を引くこともままならず、皆点々のつながりになってしまうのでしたが、鳥を描けば首の辺りから足が出る、頭の辺りから羽が出るといったような絵ばかり。それがまた面白く本人も周りの皆も笑い転げるといった具合で、スマ自身ともかく描くことが楽しくて仕方がない。朝から晩までこれまで溜まっていたものがほとばしり出るかのように描き続けたのでした。野山や田畑でこれまでスマが出会ってきた沢山の生きものたち、そして草花、野菜、あるいは何よりもいとおしい孫たち。それらの姿が何百点にも及ぶ作品に描かれていったのです。

 その作品の自由奔放なえも言われぬ面白さに、位里・俊夫婦も虜になり、1950年(昭和25年)試みにと出品した『女流展』に初入選(以後54年まで毎年)。1951年(昭和26年)から暖かい季節は東京で冬には広島に戻るという生活のなかで創作活動に励みました。その年『院展』にも初入選、以後3年連続入選を果たし院友となります。1954年(昭和29年)には『童画展』にも入選、また地元広島にて大規模な(150点出品)個展を開催し、一躍時代の寵児のような扱いをマスコミや世間から受けます。

 ところが1956年(昭和31年)位里・俊夫婦が『原爆の図』の世界巡回展のため日本を離れている間、東京の留守宅に残っていたスマは、住み込みで手伝いをしていた青年の手によって殺害され、およそ8年あまりの創作活動はこの不幸な出来事により突然幕を閉じます。ただ短い間ではありますが、スマは一作家が一生かかっても描き切れないほど数多くの作品を残しました。天衣無縫、何ものにも捉われず、自らの思いのまま描かれた、まるで子供のような純粋さを持つそれらの作品には、その実、齢80に至るまでの彼女の生涯に裏打ちされた、それ無しには表現しえない自然や生ものそして人間に対する暖かい眼差しや共感といったものが通底しているのです。今日あらためてその作品の優れた画境を目の当りにするとき、1950年代前半同様にマスコミの寵児となっていた山下清に比して現在、丸木スマが一部の人間以外には忘れ去られているような現状が不思議でなりません。丸木位里・大道あや2人の芸術的才能の源泉が正にここにあったと言える丸木スマの孤高の仕事は、今日、美術史的に正当に同時代の画壇の中のひとつの位置を与えられるべきだし、また高齢化社会におけるいわゆる老後の創造的生き方のひとつの形を示した先駆的女性としても、是非再評価されるべき重要な人物の一人であるように思われるのです。


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次回は永島正人について、2006年に行われた『絵本を歌う』コンサートのパンフレット掲載の文章。
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by selfso_murakami | 2010-03-01 12:08 | 丸木スマ